インタビュー

 アイコン

土屋 和子

0004

今回土屋和子さんとお会いするのははじめてで、どのような人生を送られてきたのかとても興味がありましたので、国家資格を取られてから現在に至るまでの37年間の歯科衛生士人生を時間軸でインタビューしたいと思います。
お忙しい中、ナント2時間以上もお話いただきました。

元尾)1977年に国家資格を取得され就職して3~4年後からバイオメーターが下がりはじめてますが何があったのですか?

土屋和子さん)歯科衛生士の資格をとっても、はじめは臨床的な仕事は何もできないレベルなんですね。
“仕事ができるようになろう”とはじめのうちはモチベーションも高く仕事をしていましたが、一通りの仕事ができるようになると、“自分の仕事はこれでいいのか?”と、疑問を持つようになりました。
そこで、アメリカでの歯科医療現場を体験してみたいと思い、退職してロサンゼルスのDr.Raymond L Kimのオフィスに行きました。

元尾)素晴らしい向上意欲ですね!

日本のプロ野球で輝かしい成績をおさめた選手がさらに高みを目指してメジャーへいくのと通ずるものを感じます。
海外ではどのような経験をされてきたいのですか?

 

0003

土屋和子さん)
ロサンゼルスで数人の歯科衛生士に会ってきました。
驚いたことに、衛生士の多くがフリーランス(1)なんです。そんな働き方があるなんて当時の日本では存在しませんでしたから衝撃でした。
歯科衛生士も“寿退社大歓迎”の時代だったのですが、私は結婚して、子供も欲しいし衛生士の仕事も続けていきたい
両方実現させるためには、フリーランスという働き方がベストなのではないかと思いフリーとなりました。

元尾)フリーになることへの不安などはなかったのですか?

土屋和子さん)
不安はありましたが、日本の歯科医療の技術や概念はアメリカに10年程遅れていると言われており、プロフェッショナルなフリーの衛生士が活躍する時代がくると確信していました。
フリーランス衛生士ということが新しく注目されましたが、バッッシングも相当沢山ありましたね。当時住んでいた神戸のある地域の歯科医師会で「土屋和子(旧姓寺尾)には仕事を依頼するな。院内のスタッフの和が乱れる」という内容の回覧板が回ったときは本当に落ち込みました。
自分がやっていこうとしていることは本当に正しいのだろうか?と悩みましたね。。。。

元尾) 何か新しいことをはじめると保守派のヒトは必ずバッシングしますが度を越したレベルですね・・・酷すぎる。
でも、そういうバッシングにも負けなかったから今があるのだと思うのですが、そのような状況で仕事を依頼してくださった先生はどのような方だったのでしょうか?

土屋和子さん)
東大阪で開業されていた本多正明先生や、神戸で開業されていた伊藤雄策先生でした。
今ではお二人とも日本の歯科医療界ではなくてはならない存在です。歯科治療に対する真摯な姿勢を間近に素晴らしい体験をすることができました。しかし、私はそれでもまだ何かもっと可能性を追求したいと考え、関東で仕事をすることにしました。

フリーランスとして仕事を始めた私に声を掛けてくださったのは、神奈川県熱海市で開業されている先生でしたね。
その先生は、新しいことを積極的に取り入れ医院経営をされている方でした。
そして、小田原市でも歯科医院を紹介していただき、神奈川県での仕事をスタートさせました。

元尾) その後、どのようにして雇用先を増やしていったのですか?
当時は今のようにインターネット、SNSも普及してない時代ですよね?

土屋和子さん)
歯科医師向けの月刊誌に症例を掲載されている先生に手紙を送って、さらに詳細を教えていただいたり、
歯科医師向けのセミナーに参加して学ぶことで人脈を作りました。
歯科医師医師のセミナーに衛生士がひとりで参加することへの抵抗やためらいは感じなかったですね。

元尾) 学ぶ姿勢を見せることで「自分を売り込む」まさに営業ですね!
歯科医師だらけの中に衛生士である和子さんがひとりで参加されるなんてすごい!!

土屋和子さん)
どんな仕事もおなじことが言えると思うのですが、「継続は力なり」ですね。
当時は多い時で7件の歯科医院で働いておりました。
今年で歯科衛生士歴37年目になりますが、今でも4件の歯科医院でフリーランスとして仕事できるのも常間臨床の現場へのこだわりを持ち続けて継続してきたからだと自分では思っています。